20200525

ヤマシタトモコの違国日記に「アサガオの観察日記なんか大人になってからやった方が楽しいに決まってる」というセリフが出てくる。

最初で最後にブログをやっていたのが12年前くらい、何を書いてたか何にも覚えてないけど、身も心も大人になった今の方が楽しいはずだと思ったので始めます。

 

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いきなり書くことがなくてどうしようと思ったのですが、最後にブログ書いてたのが中学生だったので、当時に比較して大人になることはサイコーという話を書きます。

ここでいう「大人になること」とは具体的には、

  • 成人すること
  • 大体のことは自分で決められるようになること
  • 人生に必要なものがわかること

の3つのような気がしています。

 

成人することは文字通り法律で定められた一定の年齢に達すること(日本では20歳)ですが、これは私の場合主に飲酒ができるようになったことを意味します。

私は食事と飲酒を愛しています。大学に入ってサークルの飲み会で初めてビールを飲んだ時、まるで足りなかったピースがはまったような充足感を覚えました。高校生の時に飲んだ薄いノンアルコールビールの記憶と、誰かと食事と酒を飲み交わす楽しさを知ったことによるものでした。

最近は生活環境の変化で酒を飲む頻度が著しく減りましたが、たまに大学時代の友人とオンラインで酒を飲んでは爆笑しています。

 

2点目は大体のことは自分で決められるようになること。これは所属や周囲の変化が大きかったように思います。

中学生や高校生は、とても多くの見える制約、あるいは見えない制約に縛られています。親からの制約、学校からの制約、社会からの制約、人間関係の制約。

大学への進学と同時に一人暮らしを始めると、その多くから一気に解放されました。

一人暮らしは生活のあらゆることを自分で決めることができます(金銭的な制約はありますが)。家事が特に苦ではなく、寂しさも感じなかった私は、毎日カレーを食べたり、夜中にアイスを食べたり、連日朝帰りをしたり、いきなり踊り出したりと、まさしくやりたい放題の生活でした。

大学は多くの同年代が集まり学問を追及する場でしたが、皆がそれぞれの興味を持って自発的に学習しているところに、中高のようにホモソーシャル的なヒエラルキーを気にする人間もいませんし、合理性に欠ける謎の校則や同調圧力も存在しません。自分の気に入った狭い交友関係を大切にするだけで特に支障はありませんでした。

自分が何に興味を持って、誰と深く関わり、どう生活するかを決められたので、突然全ての決定権が与えられたかのようなものです。もちろん決定には責任も伴うのでしょうが(でもこれって基本的人権のような気がする…)。

 

3つ目、人生に必要なものがわかること。これは定義上大人になってもまだ全然わかんない人もいるのでしょうが、幸いにして自分は早期に見つけることができました。これがわかると、誰かが決めた価値観や幸せの尺度が気にならなくなります。呪いを解く行為にも繋がっているかもしれません。ここでいう呪いとは、いつの間にか我々を蝕み、縛り付けている考え方や価値観のことです。自分の人生に何があれば幸せかわかっているので、その他多くの必要のないことに足元をすくわれることもありません。精神が非常に安定し、夜中に不安で大声を出すような精神状態になることも格段に減りました。

 

以上の3つでもって、私は大人になり、今は毎日楽しく穏やかに暮らしています。右も左もわからず不安で押し潰されそうで、とにかく毎日がつらかった子どもの頃を思うと、大人になるまで生きててよかった〜と思います。私が子供を産んだり、子供と深く関わる日がくるかはわからないけど、彼らの辛さごと抱きしめてあげられるように、あの不安だった日々も忘れないようにしておこうと思います。

 

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ちなみに違国日記はまだちゃんと読んでないので、Covid-19で引きこもっている今のうちに読みます。